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【アンディ・フグ】番組「新K-1伝説」で流れたゴリラクリニックのCMでDr.ゴリラが遂に……!

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■番組「新K-1伝説」にアンディ登場

2015年12月3日(木)深夜に放送されたテレビ東京のレギュラー番組「新K-1伝説」で、まさか!というCMが流されました。

I came back, as promised.(帰って来たぞ、約束通りに。)

こんな台詞とともに、そこにはなんとあの伝説のK-1ファイター、アンディ・フグ選手の姿が!
しかもその姿はDr.ゴリラ(ドクターゴリラ)と重なり、かかと落としを!?

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Dr.ゴリラが かかと落とし!

そしてあの名言 「美しくなければカリスマになれない」

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CMの最後には、大きな鼓動と共に「ゴリラクリニック」の名前が。

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遂に、あの伝説のK-1ファイターがゴリラクリニックのCMに登場!

しかし、このDr.ゴリラ(ドクターゴリラ)とは一体?
前回の予告動画しかり、一体このDr.ゴリラとはどのような人物なのでしょうか?

詳細はこちら⇒ Dr.ゴリラとは?(本サイト)

 

アンディ・フグ選手とは

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それでは、通称「鉄人」、「青い目の侍」、「ミスターK-1」とも呼ばれ、K-1の歴史において最も華のあった”故アンディ・フグ選手”を知らない人の為に、彼のプロフィールについてまとめてみました。

アンディ・フグ(Andy Hug)、本名アンドレーアス・フーク(Andreas Hug)は、1964年9月7日にスイス・ヴォーレンという人口1万人ほどの小さな街で生まれた、極真空手を自身のスタイルとして持つ格闘家。
 家庭は貧しく、外国人部隊に傭兵として所属していた父親は無類のアルコール好きで、アンディが15歳のときに出兵先のタイで病死したと言われています。母親は心の病を持ち、行方不明に。そんな中アンディは祖母に育てられ、学校では親がいないことなどから、いじめにあっていたといいます。
 子供の頃のアンディはサッカーに夢中でしたが、ブルース・リーに憧れて10歳から極真会館スイス支部の門を叩きます。そのままメキメキと頭角を現し17歳でスイス王者に。そしてついに1985年の極真ヨーロッパ選手権で優勝。その後の世界大会においても優勝や準優勝など好成績を収めます。ところがその後、極真会館を退館。アマチュアでは生活が厳しかったとも言われていますが、格闘家としてより高みを目指すためにその頃プロ部門を設置した正道会館に新天地を求めて移籍。グローブ空手を経て1993年からK-1に参戦します。アンディはK-1という土俵の中でも得意の大技「踵落とし(動画)」で試合に勝利するなど、空手ファンだけでなくキックボクシングファンにも注目されていくことになります。
 アンディの戦績を見てみると、勝ちも負けも含めKO決着が多い、倒すか倒されるかの派手な選手です(キックボクシング戦績47試合中37勝9敗1引き分け うち22KO)。ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、マイク・ベルナルドと共に創成期のK-1四天王として活躍し、K-1ファイターの中では決して大きくない体で、負けても負けても立ち上がる不屈の戦いぶりとリベンジマッチでの強さが彼の持ち味でした。試合では紆余曲折ありながらも、不屈の精神で96年に王者になると、97、98年と連続して準優勝を収め、日本での人気を不動のものにします。それと同時に母国での人気も急上昇し、アンディが出場する試合の番組は、スイス国営テレビの平均視聴率では必ず50%以上を記録。日本とスイスの両国においてヒーロー的な存在でした。

K-1でのアンディの活躍ぶりに関しては動画をご覧ください。

YOUTUBEより 英雄伝説 アンディ・フグ 鉄人の全K-1戦跡 01/13

 2000年6月に母国での引退試合を行ったアンディは、仲むつまじかった奥さんのイロナ夫人(当時35歳)とも離婚してしまいます。表向きは「日本での活動に専念する為」という理由が伝えられていますが、真相は定かではありません。そして同年10月9日、福岡でのK-1 WORLD GP 2000トーナメント大会に出場する予定だったアンディでしたが、その約2か月前の8月24日午後2時に正道会館で記者会見が行われ、アンディが急性前骨髄球性白血病(APL)によって危篤状態であることが発表されました。病気については本人が周囲に心配を掛けたくないと、家族にも内緒にしていたということです。(結果的に彼の闘病生活の存在自体、死の直前まで伏せられることになります。)
 結局アンディ(35歳)はその日の夕方午後6時21分に死亡が確認され、葬儀は本人の希望により日本式の仏式葬儀で行われました。3日後に告別式が行われ、その模様はテレビで大々的に生中継されました。

病床での最後の逸話として、こんな話が残っています。

病状を直前まで知らされていなかった角田信朗が慌てて病院に駆けつけた時には、既にアンディは声をかけても反応できない状態にあり、やがて心肺停止状態に陥った。
しかし角田が「何してんねん!」「アンディ、ファイト!」「ハンズ・アップ!(「構えろ!」)」「試合はまだ終わっていないぞ!」と声をかけると、アンディの心肺機能が一時復活した。
アンディは角田の呼びかけに3度応えたが、4回目には応えず、心肺は停止した。
その時、側にいた主治医は「角田さん、アンディは3度立ち上がった。ドクターストップです。もう休ませてあげましょう。」と言ったという。

2015年8月24日、アンディ・フグ15回目の命日に綴られた角田さんのブログにもあるように
「サムライスピリッツ」「ネバーギブアップ」が口癖だったというアンディらしい最後なのかもしれません。

YOUTUBEより 英雄伝説 アンディ・フグ 鉄人の全K-1戦跡 01/13

 

アンディ・フグの偉大なる名言

そんなアンディ・フグは生前、数々の「名言」を残しています。ここでその一部をご紹介しましょう。

あきらめないで、自分を信じて欠点を矯正していく。
それがいちばん大事だ。

もう一度生まれ変わるとしたら、私はミュージシャンになりたい。格闘技は多くの痛みを伴いますから。

美しくなければ、カリスマになれない。

お金だけがすべてじゃない。
どうしたら人間的に成長できるかということを考えて欲しい。

今度の敵(病気)は私がいままで戦った中で、一番の強敵です。
しかし、私は必ず勝ちます。10月の大会は残念ながら出られませんが、
かならず皆様の前に現れたいと思います。押忍

不屈の精神で多くの格闘家たちと、自分、そして病と闘ったアンディらしい名言ですね。
伝説となったアンディ・フグは、これからも多くの人々の心の中で愛され、生き続ける事でしょう。

何事にも諦めずに立ち向かったアンディ・フグ。
私たちが彼に学ぶことはとても多そうです。

ゴリクリハック編集部

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